これまでのSTYLEに参加者やサポーターとして関わった様々な人々に、現在の活動や、自身にとってのスタイルの持つ意味を語ってもらいました。
Vol.2 2004.6.9更新

STYLEで得たことは“背伸びしなくて良いことを受け入れられるようになった”こと
  〜河野 理愛(かわの りえ)さん(NPO法人スポーツインキュベーションシステム)
「共感性」を得るための自己の研磨に対して目を開かせてくれたきっかけが、STYLEでの敗北だった
  〜駒崎 弘樹さん(NPO法人フローレンス代表)

STYLEで得たことは“背伸びしなくて良いことを受け入れられるようになった”こと
 〜河野 理愛(かわの りえ)さん(NPO法人スポーツインキュベーションシステム)

小中学校時代に、鈍くさかった自分が「スポーツ科学」との出会いによって、努力は報われるという体験をしたことに感動し、この分野に目覚めました。日本でそれが浸透していないこと・それを提供する役目が居ない(職にならない)ことに問題を感じ、高校時代にWebページを企画したことが私の事業の始まりです。2002年にNPO法人化しました。
スポーツ情報を提供するトレーナーや科学者とそれを必要としている人々のマッチング、情報提供者側の産業確立を目的に動いています。

STYLE期間中の私は、事業に対しても自分に対しても自信とモチベーションを持つことができず、余裕も無くひどく悩んでいた時期でした。選考が進めば進むほど、自分と向き合わなくてはいけない時間が増えるのは、苦痛でしかない毎日。
今、振り返ってみると、あんなに悩んでて、あんなに刺々しい状態でファイナルまで進んでいたことが不思議です。メンターをしてくださった広石さんや、ETIC.のスタッフの方々に何度も何度も迷惑をかけてしまった思い出があります。だけどそこはいつもETIC.らしく、いつも温かい人たちでいっぱいの場所でした。

 


(上)スポーツインキュベーションシステムのセミナーで話をする河野さん/(下)STYLE2003最終発表会でプレゼンする河野さん


私がSTYLEで得たことは、“背伸びしなくて良いことを受け入れられるようになった”ことだと思っています。正直な話、当時は「こんなことに時間を使っているくらいなら、事業を進めたい」としか思っていませんでした。そんな刺々しさの塊だった私がこのことに気が付いたのは、STYLE2003の期間中に知り合った、今や私のNPOの副理事長にまでなっている加勢君のおかげでもあります。私には、「とりあえずやってみる」とか「人とがっちり何かを共にする」という能力が欠けているのですが、加勢君はこれを持ち得ている人でした。実際に彼が私のNPOに入ってからというもの、人は増え、組織は動き、とても大きな変化が起きました。時には衝突することもあったけれど、“仕事を棲み分けて協力する”ということを、身を持って感じることができたのは彼のおかげであったと思います。世の中に、なぜいろんな人たちが共存していて、なぜ会社や組織というものが存在しているのか、ということを考えさせられるきっかけになりました。

STYLE以降の1年間では、事業のスピードが上がっただけでなく、以前の私には想像も付かなかった事業にも組織として挑戦しています。今年度中に事業を一部分社化し、営利企業として回していくことを目指しています。

STYLEという場は、一人一人のそれまでの経験や目指すことの進捗具合によって、得られることが全く違ってくる場所だと思います。体験することや考えなければならないことが、一人一人違うというのは長いスパンで見れば当然のことでは有りますが、たぶんSTYLEという場所に行けば、それをちょっと短い周期で体験できるようになるんじゃないかなと思います。そんな濃い場所だと思うのです。関わる人たちも濃いですしね!!

自分自身を見つけてください。
ひねくれ者が出てくるのを楽しみにしています。

プロフィール:1982年6月生。小・中学校時代にスポーツ科学と出会い、自分なりに探求し97年スポーツ科学のWebページを開設。98年3月から1年間、地元のJFLチーム ヴォルティス徳島(現 大塚FC)にて、ゲーム分析で協力。1998年11月 日本スポーツ心理学会大会にてパネリストとして参加。2002年5月NPO法人スポーツインキュベーションシステム設立、代表理事就任。同年10月、『図解雑学スポーツの科学』を執筆。2004年3月 横浜市スポーツ振興審議会委員就任。現在、慶應義塾大学総合政策学部第4学年在学中。
NPO法人スポーツインキュベーションシステム:http://www.sports-inc.org/



「共感性」を得るための自己の研磨に対して目を開かせてくれたきっかけが、
STYLEでの敗北だった  〜駒崎 弘樹さん(NPO法人フローレンス代表)

僕は「病児保育」という子育て領域で最も立ち遅れている領域に取り組んでいます。「病児保育」というのは、皆さんは聞き覚えがないかもしれませんが、風邪や熱を出してしまった子どもを預かりながらケアをするという保育です。日本の保育園は熱の出た子供を預かってはくれません。子育てしながら働く家庭にとって、子どもが熱を出した時のケアは非常に重要な問題ですが、それができる保育施設は日本では大変少ないのです。なぜ少ないか。「儲からない」からです。政府の補助金だけでは十分ではなく、それがゆえに多くの子育て家庭に望まれているにも関わらず、一向に増えていきません。

そこで、フローレンスでは「経済的自立の可能な病児保育モデル」を医師や現場に携わる方々と作り上げました。このモデルにおいて成功事例を創り、そしてそのモデルが全国の施設に導入されることによって経済的な問題が乗り越えられ、病児保育問題が過去のものとなることこそが、我々のミッションです。
現在その画期的な新しいモデル「まちかど保健室」の設立に向けて準備を進めている段階で、来年3月をめどに具現化させたいと思っています。


(上)フローレンスで活動する駒崎さん
/(下)STYLE2003の2次選考でプレゼンする駒崎さん


STYLEでは僕は優勝どころかファイナルにも進めなかったのです。当時の僕としては「なんで!?」という思いがいっぱいで、必ず見返してやるぞ、というような悔し紛れなメールをETIC.に送りつけたような恥ずかしい記憶があります。というのは、僕は大学3年の頃からソフトウェア開発会社を経営し、そこで散々苦渋をなめた経験があったので、ビジネススキルということでは同世代を完全に凌駕しているという自負が、当時の僕にはあったためです。けれどもメンターの方々の僕に対する反応を見ると、これが不思議。「余り『知』に溺れないように」「ロジカルだし特に指摘するところもないけれども、何か足りない」とけんもほろろなのです。一方で僕からすると単なるアイディアに過ぎないと思えるようなプランが、喝采を浴びているのを見ているわけです。

この差はなんだ、と。当時の僕は気づいていませんでした。「ピュアビジネス」の世界と、「社会問題を解決するビジネス」の世界のルールの違いを。後者の「社会問題を解決するビジネス」の扱う領域、すなわち複雑な時代を生きる我々の「問題」とは、社会の複雑性を反映し、自ずと複合的なものになります。複合的な問題にはそれぞれ複数の利害関係者が絡みつき、より一層問題を一筋縄ではいかなくさせています。そういう問題はそうそう一人が頑張ってもどうにもならないような場合が多いのです。その中で大切なのは「共感性」です。複数の利害関係者や外部の人々が共感し、「動いて」くれること。一人の力は微弱であるが、多くの人が巻き込まれた場合、地滑り的に問題が解決されていくのです。

さてその「共感性」はいずこから生まれてくるのでしょうか。それは自分自身の中から滲み出てくるのです。意外ですよね。自分の「プランから」ではなく、「自分自身から」なのです。それを当時の僕は理解しておらず、プランの戦略性と緻密性のみに目を向けていました。その「共感性」を獲得するための自己の研磨に対して目を開かせてくれたきっかけが、このSTYLEでの敗北だった、と今思うことができます。

最後にこれから自ら動こうという「同志」の皆さんに何らか貢献するようなことを言えたらと思いますが、ひとつエピソードがあります。まだ大学生であった頃、著名な社会学者である宮台真司先生に、初対面なのに飲み会で議論を吹っかける、という無謀なことをした経験があります。そこで僕は「社会学者は社会のことを分かったような口を利くが、社会を変える力なんてないじゃないか。社会を変えるのは行動であり、情熱だ。」と食って掛かったのです。無教養な僕の目を先生はまっすぐ見つめ、言いました。「君の言うことは確かに正しい。しかし半分だけだ。私達の生きるこの社会は大変に複雑で、社会問題は相当複合的だ。例えば貧困一つをとってしても、貧困にあえぐ第三諸国の国民自ら、自分達を搾取するグローバリゼーションという仕組みに『自ら進んで』参加している。決して単純な善悪や疎外の議論では答えがでない。」先生は続けます。「確かに君の言うように情熱や行動は非常に大切だ。しかしながら純粋な情熱と『いいことをしよう』という行動だけではその複雑な問題を超えるどころか、その仕組みを延命させてしまうことに繋がることだってある。」そして最後にこう仰いました「情熱とともに、『徹底した思索』によって、糸口を見つけるんだ。」勉強してない僕は後で知ったのですが、宮台先生は多くの著作を世に送り出しつつも、自らロビー活動なども行っている「行動する学者」でした。

複雑な社会問題に対して、私達若者はその正義感と自己実現の可能性だけで飛び込んでしまい、「いいこと」をする自分に気持ちよくなってしまいます。けれどもそれだけでは多くの場合社会に「絡め取られて」しまいますし、また論理や机上の計算だけが先行する「コンサルもどきな学生」(かつての僕)になってしまっても、社会に地滑りを起こす「共感」は得られません。右手に「熱き情熱」を、そして左手に「徹底した思索」を持って、社会に自らを投げ込んでいきましょう。僕やあなたの生きる社会を、まさに生きるに値する社会に変えるべく。

プロフィール:99年慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス入学。2年時、元留学生のための相互扶助ネットワーク、"ANEP"(http://www.anep-web.net)を創立。3年時、湘南ニュービジネスコンテストにて優秀賞。また、元外資系コンサルティングファームのパートナーが起業したベンチャーで、ビジネスに触れる。その経験から、(有)ニューロンに共同経営者として参加。株式会社化後、在学中の2001年、同社代表取締役社長に就任。数々のウェブシステム、ブロードバンドコミュニケーションソフトウェアの戦略立案と営業を手がける。卒業後、退社。(株)商店街ネットワーク(http://www.shoutengai.co.jp)に所属しつつ、慶応大学SFC研究所(http://www.sfc.keio.ac.jp/visitors/collaboration/)訪問研究員として、「子どもの安全保障を軸にしたまちづくり」の研究を行っている。NPO法人「フローレンス」を起業し、代表理事就任。
フローレンスWEB:http://www.florence.or.jp