村田早耶香さんは2004年3月に大学を卒業し、現在「かものはしプロジェクト」に自分の職業として取り組んでいます。カンボジアの子どもたちを児童買春の被害から守るため、IT職業訓練や、日本からのIT関連の受注を利用した、より事業的な枠組みを使っての自立支援活動を始めています。最近はテレビや雑誌などでも取り上げられ、活動の輪も広がって来ている村田さんに、これまでの取り組みやSTYLEについて語っていただきました。 (文:高橋淳)

プロフィール:かものはしプロジェクト代表。1981年生まれ・東京都出身。大学2年生の時、NGOのスタディー・ツアーに参加。母親が買春の被害に遭い、母子感染でエイズを持って生まれてきた5歳の男の子に出会い、東南アジアでの児童買春の現実を目の当たりにした。「児童買春を防いで、子ども達が将来に希望を持ち、笑顔で過ごせる世界にしたい」そんな想いから、大学時代出会った仲間たちと児童買春を防ぐために力を注ぐ。世界銀行が世界から100人の若者活動家を招いてパリで開いたYouth Developmentand Peaceに、日本から唯一の若者代表としても参加。カンボジアの職業訓練センターでのインターンなど数多くの経験を積んでいる。大学卒業後は事業に専念。
かものはしプロジェクトホームページ http://www.kamonohashi-project.net/


カンボジアで子供たちと。


STYLE2003で優秀賞をとった村田さん。表彰式の一コマ。

村田さんが、「かものはし」プロジェクトを始めたきっかけは何ですか?
大学2年のとき、NGOのスタディー・ツアーでタイに行ったんです。そこで母子感染でエイズを持って生まれてきた5歳の男の子に出会いました。その子の母親はエイズで亡くなっていて、彼もいずれ発病するかもしれないという状況です。その時、「これは絶対に、何とかして解決しなければならない」と強く思いました。
帰国してから、この問題について一人でも多くの人に知ってもらおうと、授業や勉強会、その他、子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議などに日本の若者代表として参加するなど、問題の深刻さを訴え続けました。
だけど、それだけでは、この問題の解決に貢献している感じがしなかったのです。どうしたらいいんだろう、ともやもやとしているときに、今のコアメンバーである青木、本木、そして現在もメンターである藤沢烈さんに出会い、このプロジェクトが始まりました。

実際、彼らと出会う前は、自分はある程度の社会経験をつんだ後で、40歳くらいでNPOを立ち上げ、本格的に児童買春の問題に取り組んでいこうと考えていたんです。でも、あるサポーターとなる方からの「40歳といわず今やりましょうよ」の一言に心が動きました。それでも、実際どのような方法で問題解決にあたろうとか、そこまで発想していなかったので、まだ迷っていました。そこでまずは、仲間とともに、当面は三ヶ月を期限にこの問題に対して調査をしてみて「やれる!」と判断できるなら、団体を立ち上げようと決めたのです。それが、今の「かものはしプロジェクト」の始まりです。

STYLEに参加したのはなぜですか?
本当のことを言うと、メンバーの中には最初STYLEへの参加に反対する声もありました。実際その時点で私たちには素晴らしい社会人サポーターもいて、彼らのおかげで自分たちのプランは随分ブラッシュアップされてきていました。それなのに、STYLEに参加してしまうと、もっと自分たちよりサポートがもらえていないグループの機会を奪いかねないということでした。でも、私自身は、絶対出たかったのです。それまで、様々な分野で秀でた能力を持つメンバーに頼るところが大きかったのですが、客観的にみて、このプロジェクトがどう見られているのか知りたかったですし、もっとブラッシュアップをしたかったですし、色んな人の意見が聞きたかったのです。この「かものはし」プロジェクトを自分が代表を務めるプロジェクトだっていえるくらいに自信が持ちたかったのです。

実は、先ほどの調査の結果、支援の対象を、タイではなく、より被害の深刻なカンボジアに変更して、プロジェクトを進めていました。ただ、まだ自分が行ったこともないカンボジアという国に対して、本当は思いが湧ききっていなかったんです。カンボジアに行きたくとも時間と国際情勢が許しませんでしたし。それでも、仕事はきつい日々が続き、ITを始め、得意分野を持つ仲間に頼るところが大きく、代表としての責任感につぶされそうな時期が続いていました。この時期は、何度泣いたかわからないですね。

STYLEの印象と、期間中に変化したこと、成長したことなど聞かせてください
そして、STYLE期間中にようやくカンボジアに行くことができました。カンボジアにいる時、STYLEのファイナリストに選ばれたと知らせが届いたんですが、そこでそのとき心から感じたのは、「自分はここで賞を取ろうが取るまいが絶対にこのプロジェクトをやるんだ」ということでした。
以前は賞を取って名をあげるとか、ここで実績をつくろうとか、どこかで考えていたと思います。しかし、現地で子ども達と一緒に生活する中で、「STYLEで賞をとることが大事なのではなくて、自分の目の前にいる一人ひとりの子どもたちが笑ってくれるかどうか、ということが私にとって大事なんだ。だから私は、東南アジアで社会的に不利な立場にいる子どもたちが、明るい未来を見られる社会を創らなければ」って、強く感じたんです。

今までだったら、自分よりもプレゼン能力がありITにも詳しいメンバーの力を借りて話していたように思うのですが、STYLEのファイナルででは、そういった事業内容以上に、自分の思いや、現地で見てきたこと、感じたことを精一杯伝えようと心がけました。
また、その準備の過程にあった、メンターの方とのやりとりが自分を成長させてくれた、と思っています。多くの経験をつまれているメンターや起業家の方々のお話は刺激的だったし、何より、精神的なサポートにもなっていた。また彼らが熱心に話を聞いてくれていることも、私には自信になっていました。さらに、そんな人たちに話すことで、成果に対する責任感というものが確かに生まれたとも思っています。

STYLE後の活動について教えてください。
カンボジアで展開していくための現地調査や、資金を捻出し事業を展開していくためのシステム開発の仕事を、実際に企業から受注し、事業として行ってきました。また、ETIC.のプログラムである「NEC学生NPO起業塾」にも参加し、さまざまなサポートをいただいています。
今は調査段階を終えて、現地でどのNGOと提携するか、具体的な教育内容について詰める、といった基盤づくりを終え、実際にカンボジアで、現地事務所を立ち上げて運営していく準備に入っています。
現在、日本ではSTYLEで出会ったメンターが紹介してくれたIT事業の案件や、先述の「起業塾」でつながったNECさんとの事業、その他システム開発の仕事を実際に受けています。
STYLE以後、いくつものメディアに取り上げられたこともあり、新たなサポーターや優秀なスタッフとの出会いが広がっています。また、そうしたつながりで、カンボジア人の信頼できるプログラマーと出会うこともできています。

今後は、カンボジアに買春の被害に遭うリスクのある子ども達を受け入れる職業訓練センターを設立し、実際に子どもを受け入れ、その数を増やしていきます。最終段階としては現地の人たちで運営していけるようにしていきたいと思っています。

STYLEに応募する人たちに対してメッセージをお願いします。
STYLEは他のビジネスコンペと違って、基本的にビジネスプランを育てるというのが根底にあると思います。ですから何かをやりたいけど、どうすれば良いかわからないという人は、その情熱をSTYLEという場に持ってきてください。
そして、STYLEという場で、貪欲に参加者やメンターの方々のいいところを吸収してください。そういうふうにやっていけば、たとえ途中の選考で落ちたとしても、そこで築いた人間関係や、成長した自分というのは大きな財産になると思います。
本気の人の周りには、本気な人が集まり、結果的にいろんな形でサポートしてくれます。だから、あなたがもし本気なら、是非チャレンジしてみてください、あなたの熱い思いを形にする一歩になるはずです。